01
【俺がピだ】卯月
「手品師・やまちゃん」
やまちゃんとは、札幌近郊で活躍する手品師である。
僕が20歳の頃に、ヒッチハイクで日本中を転ろ転ろしていた時の話しだ。
札幌で散髪に入った美容院のお姉さんに、「札幌に来たのなら会っておかないとね」と紹介されたのがやまちゃんだった。
僕が北海道に来た目的の1つに、「札幌ドームで日本ハムファイターズの試合を観戦する」というものがあった。
しかし、札幌に入ったものの、到着したその日から一週間ほど札幌ドームで試合は行われないというプロ野球の日程だった。
同じくファイターズのファンだったやまちゃんが、そうゆうことならと、僕が試合を観戦出来るまで自宅に居候させてくれるということになった。
やまちゃんと過ごした数日は、毎日がエブリデイだった。
やまちゃんはれっきとした職業・手品師で、様々なイベントに依頼されては手品を披露しに出かけて行った。
予約のないときや空き時間は、飛び込みでバーや道端でストリートマジックを披露し拍手を浴びていた。
緑色の全身タイツに、おもちゃのサングラスをかけ、それでいて本格的な手品をするものだから目を惹くのである。
やまちゃんが仕事に出ているとき、僕は僕で札幌の街を探検した。あてもなくブラブラしたし、日本ハムの2軍の試合を見に行ったりもした。
やまちゃんの友達を紹介してもらい、またその友達の人に遊んでもらったりもした。泊めてもらったりもした。
やまちゃんが休みの日は、二人で公園に行って野球をした。
雨が降っている中、プラスチックのバットとゴムボールで1日中遊んだ。あれはあれで、本気で遊べば大人でも夢中になれるものだ。
お昼休憩は「きっかり1時間」と決め、お弁当を食べてまた午後から再開した。
やまちゃんのステージに付いて行ったある日、加藤さんというお兄さんと知り合った。
彼は、やまちゃんのステージの前後で歌を披露していたシンガーだった。気さくで低姿勢でラーメン好きな大男である。
どういった経緯かは忘れたが、加藤さんが車を持っているという話になり、「だったら遊びに連れてってくださいよ」とかいうひどい絡み方をしたのだと思う。
加藤さんは、本当に僕とやまちゃんを遊びに連れていってくれた。札幌郊外の足湯場に、なぜか夜中に出かけた。
やまちゃんは餃子が好きだった。
仕事帰りのやまちゃんに僕が餃子を焼いて待っていると、「ちょうど餃子が食べたかった!」と言った。
チキン南蛮を作るとちょうど食べたかった!と言ったし、炒飯を作るとちょうど食べたかった!と言った。
餃子が無くなると、もっと餃子が食べたいと言い、また二人で餃子を食べに出た日もあった。
やまちゃんは本当に、餃子が好きだった。
念願叶って札幌ドームに試合を見に行った。
やまちゃんは仕事だったので、僕は一人で観戦に行った。
外野スタンドの右ポール真下に席を取ったことをやまちゃんに知らせると、やまちゃんは中継されたテレビに映った僕を見つけて、それを録画しておいてくれた。
やまちゃんは僕に、ずっと札幌にいてもいいよと言った。
君は旅人なんだから、いつまでもここにいてはダメだとも言った。
僕が札幌を出ていく日、加藤さんが函館まで送ってくれることになった。もちろんやまちゃんも同行した。
札幌から函館というと、ものすごい距離である。二人はわざわざ、時間を作ってくれたのだ。
函館のフェリー乗り場で、僕はやまちゃんと別れた。
僕たちは目を潤ませながら、別れの言葉を言いあった。
最後にやまちゃんは、せっかく手品師と会ったのだからと、1つの手品グッズを僕にくれた。
それは、至ってシンプルなものだった。
「さんぽ」という縦書きの文字に、犬の絵が書いてあるという透明のカードである。
なにが手品かというと、それを裏返すと、文字がこのように見える。
「ちんぽ」
やまちゃんに、また会いたい。


やまちゃんとは、札幌近郊で活躍する手品師である。
僕が20歳の頃に、ヒッチハイクで日本中を転ろ転ろしていた時の話しだ。
札幌で散髪に入った美容院のお姉さんに、「札幌に来たのなら会っておかないとね」と紹介されたのがやまちゃんだった。
僕が北海道に来た目的の1つに、「札幌ドームで日本ハムファイターズの試合を観戦する」というものがあった。
しかし、札幌に入ったものの、到着したその日から一週間ほど札幌ドームで試合は行われないというプロ野球の日程だった。
同じくファイターズのファンだったやまちゃんが、そうゆうことならと、僕が試合を観戦出来るまで自宅に居候させてくれるということになった。
やまちゃんと過ごした数日は、毎日がエブリデイだった。
やまちゃんはれっきとした職業・手品師で、様々なイベントに依頼されては手品を披露しに出かけて行った。
予約のないときや空き時間は、飛び込みでバーや道端でストリートマジックを披露し拍手を浴びていた。
緑色の全身タイツに、おもちゃのサングラスをかけ、それでいて本格的な手品をするものだから目を惹くのである。
やまちゃんが仕事に出ているとき、僕は僕で札幌の街を探検した。あてもなくブラブラしたし、日本ハムの2軍の試合を見に行ったりもした。
やまちゃんの友達を紹介してもらい、またその友達の人に遊んでもらったりもした。泊めてもらったりもした。
やまちゃんが休みの日は、二人で公園に行って野球をした。
雨が降っている中、プラスチックのバットとゴムボールで1日中遊んだ。あれはあれで、本気で遊べば大人でも夢中になれるものだ。
お昼休憩は「きっかり1時間」と決め、お弁当を食べてまた午後から再開した。
やまちゃんのステージに付いて行ったある日、加藤さんというお兄さんと知り合った。
彼は、やまちゃんのステージの前後で歌を披露していたシンガーだった。気さくで低姿勢でラーメン好きな大男である。
どういった経緯かは忘れたが、加藤さんが車を持っているという話になり、「だったら遊びに連れてってくださいよ」とかいうひどい絡み方をしたのだと思う。
加藤さんは、本当に僕とやまちゃんを遊びに連れていってくれた。札幌郊外の足湯場に、なぜか夜中に出かけた。
やまちゃんは餃子が好きだった。
仕事帰りのやまちゃんに僕が餃子を焼いて待っていると、「ちょうど餃子が食べたかった!」と言った。
チキン南蛮を作るとちょうど食べたかった!と言ったし、炒飯を作るとちょうど食べたかった!と言った。
餃子が無くなると、もっと餃子が食べたいと言い、また二人で餃子を食べに出た日もあった。
やまちゃんは本当に、餃子が好きだった。
念願叶って札幌ドームに試合を見に行った。
やまちゃんは仕事だったので、僕は一人で観戦に行った。
外野スタンドの右ポール真下に席を取ったことをやまちゃんに知らせると、やまちゃんは中継されたテレビに映った僕を見つけて、それを録画しておいてくれた。
やまちゃんは僕に、ずっと札幌にいてもいいよと言った。
君は旅人なんだから、いつまでもここにいてはダメだとも言った。
僕が札幌を出ていく日、加藤さんが函館まで送ってくれることになった。もちろんやまちゃんも同行した。
札幌から函館というと、ものすごい距離である。二人はわざわざ、時間を作ってくれたのだ。
函館のフェリー乗り場で、僕はやまちゃんと別れた。
僕たちは目を潤ませながら、別れの言葉を言いあった。
最後にやまちゃんは、せっかく手品師と会ったのだからと、1つの手品グッズを僕にくれた。
それは、至ってシンプルなものだった。
「さんぽ」という縦書きの文字に、犬の絵が書いてあるという透明のカードである。
なにが手品かというと、それを裏返すと、文字がこのように見える。
「ちんぽ」
やまちゃんに、また会いたい。


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