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01

【俺がピだ】弥生

「家族のカタチ」


私が現在困っていることといえば、「鼻に入る泡」のことでしかない。

なにがって、洗顔の話である。

普段の朝晩、私は少し良い石鹸を使って洗顔をしている。
1つ500円だ。結構する。毎月買っていたとして、年に6000円。石鹸ですよ。どうなっているんだ、私の美意識は。
値段はともかく、その石鹸を泡立ちネットで泡立たせて顔を洗うというのが私の日課となっていまして、そのときに、なかなかどうして毎回毎回鼻に大量の泡が入り込むのだ。
この泡をきれいに鼻から放出するのが、非常にむつかしい。
例えば、鼻から勢いよく空気を噴射したとする。
すると、泡の真ん中に空気の通り道の穴が出来るだけで、泡が大量に放出されるわけではないのである。
鼻の穴の内側の壁面に張り付いた泡は、空気などで放出されてはくれないのだ。
というのも、私の石鹸はいい石鹸なので、泡のキメが細かく、よく肌に張り付いてしまうのではないか、と考えた。
いい石鹸というのは、キメが細かいので、肌によく張り付いて毛穴の汚れを落としてくれるんでしょうよ。

「キメ」

と、意味も分からず使ってしまっちゃっていたが、どういう意味なのだ、キメとは。
キムじゃだめだったのか、キムじゃ。

「キムが細かい」

これでは愚痴みたいだ。どこの交換留学生だ、キムさんとは。
「あ、その漢字書き順ちがいマス」
とか言ってくるのだろうか。細かいな。キムは細かい。
外国人だからこそ、日本の漢字を勉強したばかりなんだな。だから書き順に詳しいのだ。それをいちいち指摘してくる。キムは、細かい。

そんなことはどうでもよくて、話をもどすと、どうやら鼻の穴に泡が入るのは私の洗顔の仕方が悪いように思える。
文字でどこまで伝わるか疑問だが、説明するとこうだ。
私は石鹸を泡立てネットであわあわにすると、その泡をおでこから顎にかけてガーっとつける。その後、今度は逆に顎からおでこにかけてガーっとする。
これがいけません。つまり、顔の下方から上方にかけて泡を遊ばせる、そのときに鼻に泡が入るってしまう。当たり前である。穴が空いてんだ。

そこで、指を使って鼻の中の泡をほじくりだそうと試みた。
しかし、指を鼻に突っ込むことで泡がもっと深くまでいってしまわないかという不安感に煽られ、自信を持って指を突っ込むことが出来ないのが、私の心の弱さであった。
それに、もはや洗顔中なので指にも泡が付いているのだ。ダメだこりゃ。

気を取り直して、顔や指の泡をきれいに拭ったあとに挑戦してみた。
水で洗いながそうと、濡れた指を入れる。
厄介なのが、まだあった。
鼻毛だ。
鼻毛によく泡が絡んで、なかなかきれいに取れてくれないのだ。キメだろう。ここでもキメが出た。キメが細かいから、よく絡むのだ。キメめ。

思えば、私はいままで自分の鼻毛と真摯に向き合ってこなかったのかもしれない。
本来ならば、鼻毛は鼻毛としての役割を果たしてくれているのだ。泡という異物が体内に入らないよう、私を守ってくれている。このような体のシステムが機能してくれていることによって、私は今日も健康で生きていられるのではないか。
それが発見出来ただけでも、洗顔をしていて良かったと、思う。

ちなみに、「鼻毛と真摯に向き合う」とはどういったことなのでしょう。
このような人物がいる。

「抜いた鼻毛をきれいに並べる」

身近な人間でいうと、私の兄がそうだ。
この行動を私はただただ気持ち悪がっていたが、これはひょっとして、鼻毛と真摯に向き合っているということなのではないか。
しかし、もし私までこのような行動を取るようになってしまったら、どうだろう。
私の家族は3人構成であるので、「3人中2人が、抜いた鼻毛をきれいに並べる家族」になってしまうではないか。
過半数だ。母数が少ないとはいえ、過半数が鼻毛をきれいに並べる家族とは、いかがなものかと思う。
これが新しい家族のカタチか。いやだよそんなもの。

こうして、私と泡の戦いの日々は続いていく。
それが、自分らしく生きるということなのだから。


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スーパーセレクト古本店・古書ピの、塩川吉将(しおかわ きちしょう)です。
1992年生まれのAB型、細身中背の東海男児、初めての恋は広末涼子。
古本屋以外にも、zineという形で絵本や童話を制作したり、ヒッチハイクで旅をしたりしています。
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