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「日常とpoésie. 」 October

すてきなうたをうたうひとたちがいて、ときどきライブに行く。
わたしはそのひとたちを、公園で見つけた。
彼らはスリーピースのバンドだけれど、定位置が決まっていなくて、みんながうたをうたう。ギターボーカルとドラムが入れ替わったりもする。音楽にはくわしくないので専門的なことはわからないのだけれど、わたしは彼らの演奏を見て、ひとの身体が楽器のようであることを知った。のど。ギターの弦にふれる指さき。わたしは、あんなふうに身体を使うひとたちに、内心でとてもあこがれている。
それというのも、わたしはうたをうたうどころか(意外だと思われるかもしれないけれど)人前で話すことが大の苦手で、冗談なんかも言えず、初対面のひとを含む複数人で話す際に自己紹介をしようとしたり、なにげない、けれど個人的な質問に返事をしようとしたりするとき、てきせつな言葉を見つけられずに思ってもいないようなことを口走ったりしてしまうのだ。だれかと一対一で向きあう時間をもって、言葉でおたがいを知っていくのはとても心地がいいというのに。一度口にしたことを言いなおせない場では、いつも自分が自分じゃなくなっていくかんじがする。
ある夜、わたしはそのバンドのライブを、上から見下ろした。
古い木でできた天井が高く、二階が吹き抜けになっているライブハウスだった。入り口でくばられるおはじきがドリンクチケットのかわりで、きらきら光って、きれいだった。鉄のにおいのする柵のうえで組んだ手の甲にあごを乗せてきいた音楽はわたしのために鳴っているみたいに思えたけれど、演奏している側にとっては自分たちのために鳴らしている音楽なんだろうかとか、そういうのはわたしにもあるんじゃないかとか、そんなことを考えていた。呪いをとくような音楽だった。
今年の夏、縁あっていろいろなライブやアート関連のイベントへ行き、多様な表現をしているひとと話したり、パブでおこなわれたライブとDJのイベントで古本の販売をさせてもらう機会があった。
自分にできないことをしているひとの隣で自分にできることを考えたりしたりするのは、あたらしくておもしろくて、どきどきした。呪いをとく音楽を、べつの手段で、わたしにも鳴らせるんじゃないかと思えた。イメージは、あの公園、ライブハウス。どこでもすてきにきこえる、あのひとたちのうた。
今月は、少し長い旅に出る。まだ行ったことのない街で、かわいいがらくたを買ってくる予定。
paquet.の活動をつうじて、初対面のひとにもじょうずに自己紹介ができるようになることが、今のおおきな目標です。
杉浦 真奈(Sugiura Mana)
旅する古本屋「古本とがらくた paquet.」として活動中。植物図鑑と古い料理本が好き。
「ほぼ月刊ぱけのこと」というフリーペーパーをつくって配っています。
イベント等への出店予定はSNSをご覧ください。
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