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01

「日常とpoésie. 」January

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日常とpoésie.

 旅する古本屋、なんていうとかっこよくきこえてしまうけれど、旅をしているのはわたしだから、「paquet.」はわたしの行くところに必ずついてくるかわいい犬みたい。

 日本中を旅しながら短期の派遣スタッフとして観光業に従事するわたしは、古本とがらくたと犬みたいなお店を連れていろいろな街を訪れては、休日限定の青空古本屋さんをひらいています。

 ひとつの街に滞在するのはせいぜい2、3ヶ月だし、スーツケースひとつぶんの生活用品でどうにかなってしまう借り暮らしはfika+がクローズアップしているような「丁寧な暮らし」からほど遠い。
 けれど日常に慣れてしまうことがないぶん、些細ではあるけれど代替のきかない、極上にうつくしく感じられるような一瞬を見逃しにくいのだと思う。

 ことに、わたしは何事もうまくやれるほうではなく、(そうは見えないかもしれないけれど)頑張りすぎてしまうたちなので、学校や会社にいたころは毎日何かに追いかけられているような心地だった。日々をこなしていくだけではどこにも辿りつけないような気がして、焦りとつまらなさで息が詰まって、いつでもはやく終わってほしかった。
 何が終われば終わりなのかを考えるたびにおそろしくなるので結局は学校も会社も辞めてしまったわけだけれど、職場を転々としながら古本屋なんかをやっている、落ち着かないうえに先の見えない暮らしをしている今のほうがわたしは不思議と健やかだ。

 日常にあふれているいろいろな物事に目を向ける余裕があるのが、自分でわかる。

 大人とよばれる年齢になったわたしは、定住したり、定職に就いたり、結婚したり、子育てをしたりする人生のほうが一般的だとされていることをちゃんと知っているし、スタンダードを笑顔でいくひとにはけっこう純粋に憧れてもいる。だけどわたしの人生の当事者であるわたしが、わたしに関してのみいうなら、ちょっと変わったことをしてでも感性を枯らさずにいられてよかったね、という感じがしてならないのだ。

 今のほうが、世界はきれい。

 だからだと思う。仕事もしたいし、恋もしたい。好きなひとたちときれいなものを見て、それについて話し合いたい。それはすなわち、あらゆることをあきらめていないということ。



 日記みたいな連載になってしまうのかもしれない。
 でも、fika+でWEB連載をさせてもらえることになったとき、わたしの日常であるところの旅、店舗を持たない古本屋と借り暮らしの日々のなかで見つけたもの、感じたことや考えたことを、だれにでも見られるようなかたちで、記録していきたい思った。
 
 わたし自身、ほかのだれかの個人的な言葉や創作にはげまされていることを例として。

 今月から、全12回。「日常とpoésie. 」楽しんでもらえたら嬉しいです。



 さて、記念すべき第1回は、山梨県河口湖へ向かう道中で見た印象的な光景のこと。

 それは煙草を吸うひとたちだった。富士山の見えるまっすぐにひらけた道で、路肩に車を停めて、彼らは煙草を吸っていた。黒くて大きい車、あかるいけれど冷たい空、金色に枯れた草。富士山を見上げて煙を吐く若い男の三人連れは、青春映画のワンシーンみたいだった。

 強烈に美味しそうだった。うらやましい、と思った。

 とはいえ、気管支の弱いわたしにとって煙草は毒であるので、たぶん一生吸うことができない。だからこそうらやましかったのだと思う。



 最後の晩餐に何を食べたいか、という会話をしたことがある。
 あれも真冬で、灯台を見に連れて行ってもらった帰りだった。

 最初に質問をしたのはわたしで、たぶんその前日とかに、外国で大量殺人を犯したシリアルキラーが最後にリクエストする食事、スペシャル・ミールについての記事か何かを読んだのだと思う。
 そのとき一緒にいた男のひとは、ちょっと黙って考えたあとに「蕎麦かなあ」と言った。
 蕎麦かぁ、とわたしは思った。地味だけど、死刑執行前に食べるにはいいのかもしれない。
 わたしは理由をきかなかった。あるいは、きいてもはぐらかされた。すぐにおんなじ質問を返されて、自分がなんて答えたのかも覚えていない。
 つまりそれはその時点では、さして特別ではない雑談のうちのひとつだったのだ。

 後日、わたしはべつの文脈の会話で、彼が重度の蕎麦アレルギーであることを知った。
 どうしてだかわからない。でも、目眩みたいにくらくらした。
 ひとってなんて欲深くて、セクシーな生き物なんだろうと思った。
 何度優しくされるよりもずっと強力なワンプッシュだった。



 冬の富士山を見ながら煙草を吸うひとたちを見てその会話を思い出したのがおかしくて、わたしは車を運転しながら、ひとりでにやにや笑ってしまった。
 彼は蕎麦を食べられないし、わたしは煙草を吸うことができない。
 文字にするとたったそれだけのことだけれど、死ぬ間際にならないと蕎麦を食べられない彼の気持ちを、時を超えてそっくり理解したみたいなのがおかしかったのだ。

 ある時期には毎週のように会っていた彼と、何百キロも離れた地点にわたしはいる。いつかまた会う日が来るかもしれないけれど、あの時間はわたしたちの手元にはもうない。
 過ぎ去った時間やその風景が記憶となって永遠になくならないことを、わたしはいつ知ったのだろう。

 今いる街の印象は水色。花が咲いたままのかたちで乾いて、凍ってしまうような寒さ。黒いベルベットの靴は土の通勤路に向かない。出会ったばかりのひとたちと飲んだ白ワインは水みたいに薄かった。富士山は、寒い日のほうがきれい。

 日常にまぎれる詩みたいなものを拾い集めて、おまもりみたいにして生きること。その楽しさ。どうってことはないけれど、これは、わたしの記録です。



杉浦 真奈(Sugiura Mana)
旅する古本屋「古本とがらくた paquet.」として活動中。植物図鑑と古い料理本が好き。
「ほぼ月刊ぱけのこと」というフリーペーパーをつくって配っています。
イベント等への出店予定はSNSをご覧ください。
Twitter⇨books_paquet
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mail*mana.sugiura1216@gmail.com
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