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「日常とpoésie. 」 May

旅先で遅く起きて、朝ごはんを食べに歩いてでかける。わたしはこれがやりたくて、旅先には街をえらぶ。大きな街でも、小さな街でもいいけれど、宿から歩いて行かれる距離に喫茶店や公園や、郵便局やパン屋さんがあると嬉しい。特に好きなのは、次の日のことを考えずにお酒をたくさん飲んだ日の翌朝だ。時間がたくさんあって、予定がなくて、何かをしても、しなくてもかまわない。旅の愉しみかたとして人に話すには少し地味かもしれないけれど、わたしはそれを愉しむために、やたらと一泊や二泊の一人旅をしているといってもいいくらいだと思う。
先月は、大阪と松本へ行った。大阪へは友達に会いに(朝から晩まで飲んでいた。かろうじて太陽の塔だけは見た)、松本へは、古本を売りに行った。わたしは現在、ほかにアルバイトをしながら週末のイベント等で移動古本屋をひらいているのだけれど、このスタイルは今の自分にすごくあっていると思う。ほかのことの一切が手につかなくなるような強さの衝動、波のようにやってくる、自分でもわけのわからない「どこでもいいから遠くへ行きたい」という気持ちをてきせつに満たしてあげられるし、「移動」にちゃんとした目的ができる。そのうえ、旅費を売り上げでまかなえることもあるので、合理的ですらあるのだ。
松本へ行くのは二度目だった。街のなかに川が流れているのがいい、と思って、前に来たときにもまったくおんなじ感想を持ったことを思い出した。堤防は桜が満開で、白っぽく見えた。
散歩の途中で入る朝ごはんのお店は歩きながら決めることが多いのだけれど、松本最終日の朝の散歩の行き先は、めずらしいことに決まっていた。そこで何を頼むかまで決めていたのだ。コーヒーとチョコレートドーナツーー大好きな作家である、江國香織さんの影響だ。
わたしは学生時代に彼女の小説やエッセイ、翻訳作品をむさぼるように読み、その目で見た世界のありかたと表現力、あたりまえみたいなしなやかさでさまざまな愛を描く度胸のよさにものすごく憧れた。彼女の作品の背後には学生時代をすごしたというアメリカがあり、そのせいでわたしは“江國香織的に”アメリカナイズされたものが好きなのだけれど、コーヒーとドーナツの朝食はその象徴のようなものだったのだ。いつか読んだ彼女のエッセイーー大雪のニューヨークではじめてスターバックスに入り、コーヒーをのんでドーナツをたべる話ーーがすごくよかったからかもしれない。行き先がニューヨークでなくても、わたしはそれを旅先で試してみたかった。そして、それを出す「本屋」が松本にあることを、わたしはずっと前から知っていた。
きっともうわかるでしょう。松本駅からあがたの森公園という、本物の森みたいにきれいな公園へ向かう途中にある新刊書店「栞日」さんです。一階の喫茶カウンターで大きなガラス窓から入る光が亜麻色の木目の床を照らしているのを見て、朝に来られて嬉しい、と思った。階段を上がった先の二階には、壁の天井ちかくまで不揃いな大きさの木箱が積み上げられるような具合でたくさん取り付けられていて、うつくしい本が丁寧にならべられていた。どこかはわからないけれど外国の、だれかの書斎みたいな雰囲気。
わたしは木のいすに座り、棚を眺めながらコーヒーとチョコレートドーナツの朝食をとった。そしてふいに、わたしを困らせさえする遠くへ行きたい衝動の理由は、けっこうあかるいのかもしれないと思った。
遊びでも、そうためにならないとしても、やりたいことがあるのはたぶん強いのだ。たとえば好きなときに旅行に行きたいからという理由で、正社員になりませんかという誘いを断ることができるくらい。酔狂かもしれない。そもそもほとんどの人は、旅費を稼ぐために移動古本屋なんかしない。
しかし、それこそがわたしが旅先でお酒を飲んだり、朝ごはんを食べたりするためにえらんだ手段で、わたしが足を使ってどこか遠くへ行き、手で触って本当だとたしかめられた数少ないことなのだ。わたしは、たしかめることはあかるくすることだと思う。自分でたしかめること。コーヒーは苦いとか、ドーナツは甘いとか、たとえそれが想像に難くない、だれもがしっているようなことでも。きょうここに来られてよかった、と思うことは、その日のわたしにしかできない。
栞日で、青い布張りの表紙の、うつくしい本を買って帰った。ページをめくってもめくっても、えいえんにテーブルの上に置かれたものの絵が描かれてある、今はもうこの世にいないイラストレーターの最後の画集だ。わたしは毎日寝る前に、彼のテーブルの上に置かれたペンや手紙や果物やマッチを見る。本当のところはわからないけれど、それは彼が実際に見た景色であるような気がする。かわいい絵本や、わたしの好きな小説の表紙にきれいな絵をたくさん描いた、彼にとっての本当のありか。
その本を枕もとに置いたまま眠ると、朝起きたときに表紙の青がシーツの白にまぶしく映えてとてもきれい。お化粧をして、アルバイトに行く。
杉浦 真奈(Sugiura Mana)
旅する古本屋「古本とがらくた paquet.」として活動中。植物図鑑と古い料理本が好き。
「ほぼ月刊ぱけのこと」というフリーペーパーをつくって配っています。
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